私が東京に就職した頃、給料が45,000円でした。その中から寮費や食費を引かれ
残った中から毎月10,000円両親に支送りしていたので常にピーピー言っていました。
その頃、会社の警備員がいなかったので、社員が当番で見回り宿直をしていました。
手当が一晩600円か800円だったと思います。
20:00、22;00、6:00の3回、工場の中、外のタンク群を一人で異常が
ないか見回りする仕事でした。
みんな、妻帯者は泊まるのをいやがるし、会社に泊まると寝れないと嫌がる人が多か
ったので、私はそんな人達の宿直を変わってやって小使い稼ぎをしていました。
そんなある日、先輩が宿直を頼みに来たのを見た経理部長が「阿倍君が断らないから
と言って押し付けちゃいけない。」と先輩を叱って「阿倍君もいやな事は断りなさい
可哀そうに。」とおっしゃいました。
私としては、どこでも眠れるし、身回りもべつにこわくないし、お金も貰えるしとお
もっていたのですが・・・。
でも、私の事を思って言って下さったのでその後はやめました。
10年後、私が田舎に帰る事になり退職し部長とは年賀状のみのお付き合いとなっ
ていましたが、昨年1月末に孫娘に真珠をあげたいからとお電話を頂き
東京の八王子まで行きました。車で迎えに来て頂きレストランで食事を御馳走になり
30年以上昔の話に花が咲きました。
そして今年、東京時代の先輩から電話が来て、経理部長が2月3日に80歳でお亡く
なりになったと告げられました。
告別式の日、弔電を打ち、日記の昨年のその日を見ると、八王子でお会いした日と同
じでした。御冥福をお祈り申し上げます。